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人間以外の"何か"がいる可能性は否定してないけど?
乾の眼鏡が鈍く光る。
外は不気味なほど静かで、月が青白く別荘を照らしている。
晩夏。秋に向かう季節に関わらず、虫の鳴き声一つ聞こえない。そんな違和感を覚えずにはいられない事実に一年ルーキーは気づいてしまった。
「せ、先輩・・・・。風で葉の擦れる音どころか、虫の鳴き声一つ聞こえないんですけど・・・・」
その声はどこか頼りなく、泣いているのではないかと疑うほどに細かった。
「・・・・・・・・・・・・本当だ・・・・」
よくない何かが起きているのは事実。その"何か"が分からないだけでここまで人は心細くなるものなのか。
「・・・・・明日の朝、山を降りよう」
部長苦渋の決断であった。毎年恒例で、既に伝統のようになっている合宿。されどここで何かがあってからでは遅すぎる。
「そうだな。食料も足りないことだし、今晩と明日の朝食分くらいは作れるだろうし」
「あ、じゃあオレと不二先輩であるもの合わせて作ってみますね」
台所へ去っていく先輩の姿を見て、越前は頼もしさを覚えた。
「・・・なんて言うか、桃先輩って強いっスね」
「はは、頼もしい限りだよ」
逆にへらっと笑う河村に対して、若干頼りなさを覚えたことは口にせず終わった。
ドン。
「はい、どーぞ」
不二が食堂のテーブルへ運んできたのは夜食用のカップラーメン。部員はみな、なにか作れたのではないかと問いたかったのだが不二があまりにも不機嫌だったため、実行するものはいなかったのだ。
「すみません先輩方、カップラーメンになっちゃって」
手をタオルで拭きながら出てきたのは、不機嫌な不二に対して明るい桃城。従って質問の矛先は全て桃城へと向かった。
「なんでカップラーメンなんスか」
戸惑うことなく越前は一つ上の先輩に直球質問した。
「・・・・・実はよぉ」
「ほかの食材も全部なくなったんだよ」
部屋の温度が5℃くらい一気に下がった気がした。僅かに残っていた食材が消えたことは一大事だ。だが、それよりもなによりも、不二の機嫌が非常に悪いことの方が一大事なのである。
「さ、夕食にしようか?」
わざとらしいほど明るく笑顔を作った不二の機嫌をとることがまず己の使命なのだと自分に言い聞かせて、お湯をカップラーメンに注いだのだった。
ちょっと貧しい夕食を終えて、部屋に戻ることなく全員が食堂に残っていた。ただし。何処かその空気は重い。口を開くものがいるわけでもなく、それぞれが仕事をするわけでもない。ただただ窓の外の景色を眺めていたり、少し傷の入った白いテーブルを見つめたり。
重い。あまりにも重過ぎる沈黙を破ったのは普段はあまり口を開かない海堂の一言だった。
「あの、明日の朝ここを出るんだったら早く寝たほうがいいんじゃないですかね」
「・・・・それもそうだな。よし、戸締りを確認してそろそろ就寝だ」
こんな時だからこそ大石の明るさは心強い。誰一人として口に出すものはいなかったが、誰もが心のうちではそう思っていた。
それから全員で戸締りを確認して、おのおのの部屋へ戻った。桃城と越前の部屋では、当たり前のように寝る気配すらなく持参した菓子類を広げてくつろぎまくっていた。
「なぁ、越前」
「なんスか」
テニス関連の雑誌をめくりながら、さほど聞く様子もなく返事を返す。
「なんかおかしくねぇか?」
「桃先輩の頭?濡れるとしなるんですね。吃驚です」
「お前・・・・思ってもないことを・・・・」
事実桃城は風呂から上がったばかりで髪が濡れて下がっていた。桃城の言う通り越前は驚いてなどいなかったが、ほかの話題もなかったため適当に返したのだ。
「この現状だよっ」
タオルで頭を拭きながらベッドにドカッと座る。時折飛んでくる水飛沫に眉をしかめながら、耳だけを傾けた。
「なんで食材全部なくなったのに、カップラーメンは残ってたんだ?」
「んなもん知りません」
「だっておかしいだろ、どうせなくなるなら食べるもの全部失くせばいいものを・・・・」
「・・・・・・・・・カップラーメンがあることに気がつかなかったんじゃないですか?だいたいおかしいって言うなら既に食材なくなってること自体がおかしいですよ」
雑誌を読むことを放棄して、越前は桃城に向かい合う形で座りなおした。
「これからまだ、何かあると思うんスけど」
「・・・・・・・"何かある"・・・・ねぇ。・・・・・・・・・人じゃないなんかが潜んでるってのか、この別荘は」
時折部屋に舞い込む風は、ひんやりと風呂上りの火照った頬を冷ましていく。時計の針の進む音だけが耳につく。不安が微塵もない人間はいない。むしろ皆が皆、不安を隠そうと必至なのだ。
「どうなっちまってんだかな、今年の合宿は」
「去年は普通だったんスか?」
「あのなぁ、毎年毎年こんなんがあったら困るだろ」
桃城の言う通りである。毎年物がなくなったらそれはもうたまったものではない。
「なーんか神隠しみたいっスよね」
「オィオィ、縁起でもねぇこというなよ。これで人までいなくなったらホラー映画の世界だっつの」
「そして誰もいなくなった?笑えないっスよ」
いまだ虫の声はひとつたりとも聞こえない。風でカーテンのはためく音が途切れ途切れに聞こえてくる。
「・・・・・そういえば先輩たち、もう寝たのかな?」
越前が思い出したように呟いた。言われてみると随分静かである。右隣の部屋にいるのが乾と河村だとしても、左隣は菊丸と大石、それに不二の3人部屋のはず。物音一つしないのも妙な話だ。
「・・・・・・遊びに、行ってみるか?」
「っス」
ちょっとした好奇心から。半分以上を占める恐怖心から。桃城と越前は自分たちの部屋の隣に位置する先輩の部屋を訪ねた。
コンコン
「はい?―――あぁ、桃と越前か。どうかした?」
ノックしてすぐに顔を出したのは不二だった。この二人がきたことを意外に思っている面持ちだが、そのまま部屋へ二人を通した。
「英二先輩は?」
こんな状況下だから気にかかったのか、ただ単にいつも真っ先に飛びつく輩がいないことに気づいたのか。越前は真っ先にいない先輩を探した。
「英二は今風呂。もうすぐ上がると思うよ」
「ずっと起きてました?」
「あぁ。ごめんな、英二うるさかったろ?」
「・・・・・・・英二先輩騒いでたんスか?」
「「・・・・・・・・・・・・・。」」
奇妙な、そして今日何度か体験した沈黙である。互いに互いの行動が見えずに、どうしていいか分からない沈黙。コレほどまでに嫌な沈黙をコレまで経験したことがあっただろうか。
「聞こえなかったか・・・・?」
「全然。もう寝たんじゃないかって話してたんですけど」
「・・・・また、謎が一つ増えたね」
不二がため息をつきながら窓辺に移動する。
「英二が風呂に入る前、もって来たお菓子食べながらテレビ見てたんだよ。音も結構大きくしてたし、爆笑しちゃってさ」
「・・・・・・全然・・・知りませんでした」
「ふぅ」
普段は穏やかなその瞳が、一瞬青白い月を睨んだ。刹那。ふと聞こえた木のざわめき。鳥の大群が飛び立つような、凄まじい羽音。そして近くにいるのか大音量で聞こえてきた烏の鳴き声。驚きと恐怖に誰もが窓の外を凝視した。飛び立つ鳥の姿も見えなければ、木の揺れる動きすらつかめない。
再び訪れた静寂に、不二が窓を閉めた。
「・・・・・僕たち、無事に帰れるのかな」
それは誰もが口にしようとして躊躇ってきた言葉。普段は気を遣う側の不二が、初めて口にした弱音である。それほどまでに、今の部員は極限へと追い込まれていた。
「合宿・・・・どころじゃないっス・・・・」
「くそッ・・・・・!!」
桃城が壁を叩く。越前はただただ床を見つめた。
壁にかけられたアナログ時計の音が五月蝿い。この部屋の者が口を閉ざすと、時計の音しか聞こえない。虫の声も、木々のざわめきも。まるで外の世界は作り物なのかと疑いたくなるほど静かだった。
「英二先輩、遅くないっスか?」
「そういえば・・・・。エージ?起きてる?」
「寝てることはないだろ、湯船にお湯張ってないし・・・・・」
「・・・・・・・・・英二先輩?」
返事はなく、時計の音が空間に響いている。いつまで経っても返事はなかった。それどころか、いつの間にかシャワーの音が消えている。
「まさか・・・・・・・・・――――――――― 英二っ?!」
最悪の事態だった。大石が風呂場を開けて目に入ったのは無人のシャワー室と、湿ったバスタオル。それに、脱ぎ捨てられたジャージと、まだ来ていないまっさらなTシャツ。
菊丸の姿は、そこになかった。
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