ENDLESS PHANTOM 12

 

「柳生先輩!無事だったんスね!」

 ぱぁっと顔を明るくさせ、柳生へと駆け寄る赤也を見て、丸井と仁王、そして幸村は自分たちの言葉の足りなさを悔いた。
 言っていなかったのだ、柳生も柳同様だということは。

「やめろ赤也!近寄るな!」
「へっ?」

 そうして、駆け出した赤也が振り返った時には遅かった。
 柳生はなんら表情を変えることなく、そして異常なまでの腕力で赤也の首をぐっと掴むと上方へ持ち上げた。

 足が着くかつかないか。そのすれすれのところまで首をもっていかれ、赤也ははじめて柳生の制服に汚れ一つないことに気がついた。

(丸井先輩と仁王先輩はあんな泥だらけになってんのに…!)

 一体何を信じたらいいのだろう。普段自分に浴してくれる先輩が、今は表情一つ変えることなく自分の首を絞めている。そしておそらくは、こんな状況に自分たちが陥ることになったのも、目の前のこの人ともう一人の優しい先輩のせい。

「く、っそ…!」
「赤也!」
「柳生!赤也を放せ!」

 鋭く、幸村と真田の声が響く。その視線もまた、酷く研ぎ澄まされていた。
 柳生はゆるりと声のした方へ視線を向け、そして普段となんら変わりない温かみのある笑顔で腕にこめる力を強める。

「外が近い、というのは…もはや貴方方には関係ないでしょう」
「や、ぎゅ…せんぱっ」
「どの道ここで全員死ぬんです。儚い希望など、潔く捨てたら如何です?」

 顔だけ見たならば、おそらく全国優勝したその日の笑顔ともとれるだろう。それほど穏やかで、そして少しだけ嬉しそうで、いつもの柳生らしいのだ。
 なのに口にしたことは、すぐさま理解できるほどのものではない。

 …死ぬ?俺たちが?

 丸井は唖然とするしかなかった。
 確かに、確かに今柳生は赤也の首を絞めていて、赤也は必死にもがいている。自分たちは助けなければならないのに、どうしてか柳生の笑顔がそうさせない。

 いや、正確には笑顔ではなく纏う空気だ。

 ぴんと張り詰めたこの場の空気はいつ均衡が破れるやも分からず、一種のこう着状態にあるといってもいい。つまり赤也の命は自分たちの行動一つでま逆の結果が生まれるのだ。

 ごくり、と、つばを飲み込む。
 その音が皮切りだった。

 幸村が一瞬の隙を突いてパワーリストを外し、柳生の顔目掛けて勢い良く投げた。と、同時に真田は力強く床を蹴り、柳生の足をすくって押し倒す。
 突然開放された咳き込む赤也を、今度は幸村が支え上げ、引きずるようにして駆け出した。

 言葉一つかわさずに起きた目の前の出来事に対して、自分たちのとるべき行動を一瞬忘れた丸井と仁王は、それでもハッと我に返ると柳生を全力で押さえ込む真田を一瞥した。

「行け!幸村に続け!」
「…待ってろよ!」

 たまらず丸井が叫ぶと、真田は得意げに口角を持ち上げて声を張り上げる。

「待って貰わずとも追いついてやる!とにかく進め!赤也を頼むぞ!」

 そのとき真田がどんな表情でその一言を叫んだか、丸井は知らない。けれど既に駆け出していたその背中で、その力強い声を聞いたとき思わず笑みがこぼれそうになるほど容易く表情は予想できた。
 それだけいままで一緒にいた時間が長い事に不思議な感覚を覚えながらも、その過ごしてきた時間が今の自分を突き動かす力になっているんだと、前を走る今は3人になった仲間の背中を見て思う。

 おふくろみてぇに口うるさいけど、誰より部を見ていた柳。
 色から何から暑苦しいけど、呆れるほどいい奴過ぎるジャッカル。
 紳士なんて本当に名前だけってくらい、何気に容赦のない柳生。
 怒られてばっかだけど、一番純粋で単純な真田。

 会いたい。会いたい。
 会って、また全員で意味もなく馬鹿騒ぎして、柳がため息ついて、ジャッカルが胃を押さえて、柳生がぐちぐち文句を言って真田が怒鳴って。
 そんな光景を、今すぐ見たい。

 だから、生きてここから出なくちゃいけない。
 道は一つしかないのだ。なら迷わず進むしかない。

「…ぶ、ちょ…ちょっと休んでもいいですか」
「あぁ。…赤也、とりあえず全部先に説明しておくべきだった。ごめんな」
「けほっ。部長が謝る事じゃないッス。今回のは明らかに俺が軽率でした」

 壁際にちょこんとしゃがんで息を整える赤也。
 その首に残る、生々しい柳生の指の痕。そこまで強く絞められていて良く生きていてくれたと、今更になって安堵する。

 けれど、もし本気で殺そうとしていたなら、もしかしたら赤也は死んでいたのかもしれない。そう思うとまだ柳生には柳生自信の意識が僅かながらでも残っている可能性がある、ということになる。
 呑まれた者を救うことは出来るのだろうか。部室にいる次点で既におかしいことは分かっている。ということは、この空間から出ても意味がないということ。

 第一、二人はいつから、何をきっかけにして呑まれたのだろう。

 この空間への扉が開くのは、七不思議全てを知ることが鍵となる、というのはほぼ間違いない。七不思議の殆どを体験した今、旧校舎が秘密を握っていることは明白だ。

 なら、何を隠してる?
 学校が?それとも、学校は関係ない?

 自然と無口になるのは各々で思考を廻らせているからだ。もともと考えるのが得意ではない丸井は、頭をがしがしかくと壁に寄りかかる。と、ぽつり幸村が呟いた。

「蓮二と柳生、旧校舎に行くって言ってたな…」
「でも旧校舎に入っただけじゃ呑まれないんだよね。俺と仁王も行ってんだけどさ、旧校舎に」
「あぁ、そういや蓮二に言われて資料取りに行ってたね」
「まぁ結局どれが目当ての資料か分からんかったけどな。柳の目的は俺と丸井を旧校舎に入れることだったんじゃろ」
「へ?」

 思わず、壁に預けていた背を離して仁王を振り返る。
 くつくつと喉で笑う詐欺師までも呑まれてしまったのかと、そんな考えが頭を過ぎったからだ。

「あの二人の性格じゃ。きっと七不思議に興味でも持ってちまちま調べとったんじゃろ。それで偶然かどうかは知らんが旧校舎に入った」
「なるほどね。それで?」

 ようやく息が整ってきた赤也の隣に立つ幸村は、ただ黙って仁王の言葉に耳を傾けた。

「そこできっと最後の七不思議『黄泉への入口』を知った」
「なんでだよ」
「あったんだよ、立海の歴史だか七不思議だかは知らんけど、そういうのを書いた本がきっと」
「だから、なんで」
「俺と丸井で物色したあの本棚、ご丁寧に埃がちらばっとったからの。俺らの前に誰かが触ったことは明白。加えて一冊分抜き取った隙間もあった。両脇の本の背表紙に埃がついとらんかったし」

 そうして二人は同じように旧校舎を出て、そして帰る時にでも丸井と同じように「開かずの教室」の存在に気づいてしまったのだろう。校門を越えようとして迷い込んだその教室で、出口がないと分かれば、あの二人の事、先に進んで事をはっきりさせようとするはず。

 そして、この旧校舎地下で真実に近づく毎に。徐々に徐々に闇へと呑まれていった。

「…合点がいくな」
「幸村、一つ聞いてもえぇか?」
「あぁ、どうぞ」
「柳生と会う前お前は丸井に対して何か聞こえないか聞いとった。あれはどういうことじゃ」
「あぁ、それか。…これは、あくまでも憶測に過ぎないんだけど…」

 寄せられた眉が言い辛さを物語る。
 決して鋭くはない、けれどあまり心地いいものではない視線を投げかけられて丸井はたまらなく居心地が悪かった。

「丸井、お前音を聞いたんだろ」
「音?」
「あぁ。"こっち"からの音。"PURSURE PHANTOM"」
「…!」

 確かに聞いた。旧校舎へと資料を取りに行った際、どこからか寂しげに漂うメロディーを。
 どくん、と心臓は嫌な予感を主張する。

 あの時は既に柳と柳生は意識が呑まれていて、おそらく本人の意思で行動することは出来なかったはず。幸村の言う「こっち」が、今いる空間の事だとしたら。

「たぶん、この空間は丸井を媒体に呼び出されている」
「媒体ってどういうことだよ…だって、柳と柳生は先にこの空間へ来てたんだろ?」
「…蓮二と柳生がここへ来たのも、きっかけは勿論必要だ。あんまり非科学的なことは信じたくないんだけど、仁王の話を聞いて一つ、思い当たることがある」
「部長、それって、まさか」

 ようやく息を整えた赤也は、立ち上がると幸村の方へ一歩を踏み出す。
 幸村は丸井から視線を逸らすことはなく、一度ゆっくりと深呼吸して再び話を続けた。

「最後の七不思議『黄泉への入口』にも、二通りの噂がある」

 ひとつは柳も言っていた校内のどこかに入口が出現するというもの。これまでの話の流れ上、そのどこかというのはおそらく開かずの教室で、そこに行くためには七不思議全てを知った上で校門から出ようとすればいい。

 そしてもう一つ。本当にごく一部にしか噂されていない、七不思議。

「旧校舎に眠る、とある本が黄泉への入り口になっているという噂」
「じゃあ、てことは…」
「あぁ、蓮二と柳生はそれを媒体に開かずの教室へ辿り着いた。そして呑まれた二人は、丸井」
「!」
「お前を媒体に、俺達全員を"こっち"へ連れてきたんだ。だから何かが起こる前触れを丸井はいち早く察知できる」
「まじ、かよ…てことは…」

 ジャッカルも真田も…。それだけじゃねぇ。
 俺さえ音を聞かなければ、全員がこんな目に遭わずに済んだってわけかよ。

 灯台下暗しとはよく言ったものだ。原因は柳でも柳生でもなく自分にあった。
 丸井はギリッと爪がのめり込むほど強く右拳を握る。

「丸井」

 強く、拳の力が緩むほど強く、仁王は丸井の右腕を力の限り握る。

「だからお前がしっかりして、生きてこっから出なきゃいけないんだ」

 その目はどこまでも真っ直ぐで。まるで、お前のせいじゃないといっているようだった。
 だから丸井は拳の力を緩め、左手でパシッと仁王の腕を叩く。

「義務っぽく言うなよ。…そうじゃなくても生きてこっから出るつもりだっての」

 不安だってある。恐怖だってある。月明かりが恋しいし、家族にだって会いたい。
 ただの子供が何を出来るわけじゃないかもしれないけど、意志を強く持つことは今の自分にだって出来る。

 仲間を、取り戻すんだ。

 それだけが今の自分の支えになっていた。

 

[ update 07.12.02 ]

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 やたら長くてすみません。でも切るタイミングを失ったんです。
 そして回を追うごとに赤也の出番が少なくなっていきます。笑

 (07.11.15)