歩いてばかりいる気がする。
音楽室の壁を真田が壊した事によって出現した隠し通路。その通路をただひたすらに進んでも、一向に外に出る気配はない。
音楽室含め、先程までいた旧校舎そのものであった空間は木造のように見えた。しかし一度この通路へ足を踏み入れたなら、全身で拒絶感を覚えるほど冷たい、けれど無機質なコンクリート。
「…何か、聞こえる」
それは幻聴ではないかと疑うほど小さな。けれど確かに丸井の耳には届いていた。
「聞こえる?何が」
「ノイズみたいな音。なんか、テレビの砂嵐みたいな…」
「! 広い空間に出たぞ」
真田のその一言により、8人全員開けた空間に足を踏み入れた。
ホールといえるほど大きくはなく、けれど教室と呼べるほど小さくもない。
そして正面に見えるのは二つに別れた分かれ道。
「右か左、で運命が決まるならえぇがのう」
「どっちいっても大差なさそっそね」
仁王と赤也。その二人が結構深刻な問題を冗談交じりで会話しているそのすぐ後ろで、突然丸井は両膝を床に着いた。
「丸井!?」
「お、前ら、この音聞こえねぇのかよ!」
先程から聞こえていたノイズ。それは騒音となって丸井に降りかかった。
さっきから大音響に見舞われてばっかだな。
そんな考えもふとよぎったが、思考さえままならないほどの頭痛がすぐさま襲ってきた。
「おい、大丈夫か!丸井!まる…」
「この音…!」
丸井に駆け寄って、肩を揺さぶった瞬間だった。
それまでは丸井の耳にだけ届いていたノイズ。しかし仁王が媒体となったのか、はたまたただの偶然なのか。
ノイズはいまや、全員の鼓膜につめを立てるほどその空間に反響している。
「あ…頭が…!」
「くっ…!」
割れるような頭痛とは、こういうものなのかと。
そう思えるほどの酷い頭痛。
真っ直ぐ立つ事さえままならず、徐々に体力までも奪われていくような錯覚。
いや、実際に奪われているのだろう。ここまですり減らしてきた神経は日常のそれとはわけが違う。神経がすり減った状態ならば体力が底を尽きるのはもはや時間の問題。いくら王者立海のレギュラー陣と言えど、だ。
丸井は両膝を突いて頭を抱え込んだ状態のまま、気力を振り絞って周囲を見る。確認したかったのだ。
そして目的のところに焦点を合わせると。
(くそっ平気な面しやがって…!)
柳と柳生は口元に僅かな笑みさえ浮かべながら、頭痛に悩まされる事なく立っている。
普段、細かい気配りが出来る二人なだけにそのショックは大きい。
誰かの調子が悪いとき、フォローをしてくれるのは決まってこの二人だ。
なのに今は。
仲間が原因不明の頭痛に襲われているというのに、助けるでもなく冷えたまなざしで見下ろしている。
体力的にも、精神的にも限界は近かった。
(くっそ…!)
あの二人が平気なら、尚の事立ち止まるわけにはいかない。時間軸や空間すら捻じ曲がった世界だ。もしかしたらこの部屋を抜けたら何とかなるかもしれない。
そう思い、ありったけの気力を振り絞って立ち上がろうとしたとき。
立ち上がったのは丸井ではなくジャッカルだった。
ゆらりと、酷く緩慢な動きに、その場にいる誰もが一瞬頭痛さえ忘れた。ノイズさえ聞こえないほど、異常な光景だったのだ。
側にいた丸井が、どうしたのかとジャッカルを見上げる。
しかし、本能では何かがおかしいと、わかってはいた。
「ジャ、カル…?お前、頭痛…、がはっ!!!」
「丸井!」
「ジャッカル先輩?!」
丸井がジャッカルを見上げるのと、ジャッカルが丸井を殴るのはほぼ同時だった。
殴られた丸井はわけが分からずジャッカルを見上げる。
見上げられたジャッカルもハッとし、自分の右拳をまじまじと見ている。
「…ジャッカル…?」
「…逃げろ…」
まるで、熱に侵されたうわ言の様に。
「おい、ジャッカル!」
「早く逃げろ!」
悲痛な叫びだった。
その場に片膝を着いて、必死に右手を左手で封じ込めている。額には汗さえにじみ、どれほど力を込めているのか一見して分かるほど。
「体が言う事聞かねぇんだ!早く逃げろ!今のうちに!!」
ノイズより大きな声で脳まで響くその声。聞こえているのに、理解できるのに、体はそれでも動こうとはしない。
丸井は床に座り込んだまま、頭痛さえ忘れて呆然とジャッカルを見上げていた。
その隣で仁王が歯を食いしばりながら立ち上がり、更に奥では真田が赤也を支えながら拳をぎりっと握り締め。
「…ッ走れ!!!」
叫んだ。
けれど丸井は反応することが出来ず、目の前の事実をありのままには受け入れられず。
ただただ、何かと必死に戦うジャッカルを凝視するだけだった。
「丸井!」
冷や汗を流しながら仁王は丸井の腕を掴む。
「もっかい殴られてぇか!行くぞ!一番辛いのが誰かはわかっとるじゃろ!」
響いた。仁王の言葉が、その空間にも、丸井にも。
(そうだ、こんなとこでくたばるわけにはいかないんだ)
頭は痛い。体も重い。そして殴られた右頬は裂く様な痛みを持っている。
けれど立ち止まってはいられないのだ。
幸村は言った。ここへ入る前に、まずは自分の身の安全を確保しろと。
ならば。それが、部長の命令ならば。
「…後で、絶対助けるからな、ジャッカル!」
まずは、自分が、そして少しでも多くの仲間が地上へ戻ることが先決。
丸井のその言葉を合図に、ジャッカルを除いた7人は右の通路を目指して全力疾走した。
[ update 07.11.06 ]