旋律は尚も続く。切ない旋律はしかしとても力強く。
まるで、死へといざなっているかのように、地に響く。
「真田、扉は」
喧騒すら引き裂くほどの幸村の声をもってしても、その旋律の存在感は大きかった。
丸井は扉を開けようと必死で踏ん張り続ける真田を横目に、一歩一歩ピアノへ近づく。
「やっているが…開かん!ジャッカル、手を貸してくれ!」
「あ、あぁ」
ゆっくりしている時間はないだろう。閉じ込められた事を考えても、何かしら起こり得ると予想した方がいい。
そして何より気になるのは。
「赤也!こっち来い!」
ピアノの側に来て、そして幸村が握り締めたくしゃくしゃの楽譜に目を通して叫ぶ。
呼ばれた赤也はまさか自分の名が、今ここで出るとは思っていなかったのは、酷くあどけない顔できょとんとしている。
しかしすぐにハッと引き締まった顔になり、小走りで丸井の元へかけてくる。
「七不思議、この音楽室の七不思議、どんなんだった」
こんな事になるなら、全て把握しておくんだった。
今更後悔しても遅いことは分かっているが、けれども後悔先に立たず、だ。
楽譜を目で追いながら丸井は赤也にもう一度尋ねる。
「死への旅路だっけ?それってどんな噂だ」
声が少しばかり大きくなるのは仕方ない。これだけ近くでピアノは本当の意味での単独リサイタルをしてくれているのだ。
皮肉なくらい大声のほうが、スカッとする。
「二つ、これには噂があって」
「あぁ」
「ひとつはある曲を弾くと、本当はないはずのところまで弾いちゃう奴で」
「もうひとつは?」
「…ピアノが、勝手に曲を弾き始める奴です」
「なるほどね。で?オチは」
「部室での怪談で柳さんは言ってなかったんですけど」
そこで一度言葉を切って。そして赤也は息を吸い込み、真っ直ぐ丸井の目を見た。
その瞳に、もう今までのような恐怖だけの色はない。
「最後までその曲をピアノが弾き終えたら、聞いていた人は死ぬそうです」
「…なーる。それで閉じ込めたってわけね」
合点がいった。扉を開けようと必死になっているうちにピアノは全て弾き終えるって寸断か。
目をざっと通した限り、まだあと半分は残ってる。
音楽だけは真面目にやっといてよかったぜ。
そう思いながら幸村がそうしたように楽譜をぐしゃっと握ると、丸井は二人がかりで扉を開ける様を指揮監督する幸村に目を走らせた。
「幸村くん!」
そう叫ぶと、丸井はピアノの蓋を開けながら言葉を続ける。
「壊して、これ!」
「…はっ?ピアノを?俺が?」
「じゃないとたぶん全員死ぬ!」
それだけ叫ぶと幸村は目の色変えて近くにあった椅子を投げた。
ガン!!
けれどびくともしないピアノは、変わらぬ速度で旋律を奏でる。
「ふっ。やりがいがあるじゃないか」
袖を捲り上げた幸村は机を持ち上げ、そしてピアノの真正面まで歩み寄ると懇親の力をこめて振り下ろした。それだけで結構なダメージはあったのだが、完全破壊するつもりなのか、何食わぬ顔で机の脚を折り曲げてもぎ取ると、ピアノ内部のあまたの線をブチブチ気持ちよいほど爽快に切断していく。
「…うん、やっぱ幸村くんってすごいよ」
「俺、こっから出たら部長の言う事なんでも一つ聞くっす」
完全破壊だ。修理しようと二度と使えないだろうというレベルまで壊しつくした幸村は、余程ストレスがたまっていたのか、だいぶすっきりしたようである。
「さ。これで死ぬことはなくなったわけだ。真田、扉は?」
その声に丸井が真田を振り返ると、丁度ジャッカルと二人で扉に体当たりをしているところだった。
押しても引いても、スライドさせてもびくともしない。
そして体当たりしようが、きしむ音一つもしないのだ。
見た目はただの木造校舎。けれどその実牢獄よりも分厚く堅い。
「駄目だな。ぴくともせん」
真田とジャッカル。二人合わせてもびくともしないのならば、本当にこれ以上はどうにもならないのだろう。
結局突破口を開けなかった真田は、唇をかみながら真横の壁を横殴りした。途端。
壁はガラガラと音を立てて崩れ、その奥に空洞の空間が出現した。
「…ふくぶちょー馬鹿力…」
「なっ、お、俺はそれほど力は込めておらんぞ!」
「馬鹿力なんか今更だろぃ。とりあえず、突破口は開けたわけだ」
「碌なことは待ちうけとらんじゃろうけどな」
「それも今更」
「とにかく進むしかねぇってことか」
「そうとなりゃ、周りの壁も壊して下さいよ。副部ちょ…」
呼んだのは、真田だった。
赤也は真田に壊してもらえると思っていた。
けれど実際に奥の空間へと繋がる穴を広げたのは。
「ゆ、ゆきむらぶちょ…」
ポケットに手を突っ込んだまま右足が勢い良く壁を捉えた。
「…いいか。みんな」
ウェーブのかかった長い髪が隠した顔がどんな顔をしているのか。丸井からは見受けることは出来なかったが。
「ここから先、何があるか分からない。まずは自分の身の安全を確保しろ」
幸村が何かを感じ取ったのか、そして何を感じ取ったのか。それはわからない。
けれど本当に大変なのは、ここからなんだと。
今までのは、余興に過ぎなかったのだと、確証もなくそう思った。
[ update 07.10.20 ]