ENDLESS PHANTOM 5

 

「な、にが…どうなってんだよ…」

 出入り口となる扉は形として存在するものの、はめ殺しの窓の向こうに見えるのは重く冷たいコンクリート。
 窓の向こうに見えるのは紛れもない空。おそらくは3階以上、上の階なのだろう。

 あわてて室内を見回す。
 丸井のすぐ側には仁王、その少し奥、廊下側の壁には幸村。後ろの黒板にもたれるようにいるのは赤也と真田、それにジャッカル。そして窓際で外を眺めているのは柳と柳生だ。

「は、ここ、どこっすか」

 そんなのこっちが聞きてぇよ。

 目の前の出来事を信じられず、ただ力なく笑うだけの後輩を横目に、丸井はギリと拳を握った。

(落ち着け。客観的に事実を見ろ、考えるんだ)

 目を閉じこれまでの出来事を振り返る。
 確かにさっきまでは外にいた。あの土を踏む感触だとか、風の頬を撫でる冷たさとか、あれは本物だった。

 とするとやっぱりこれも現実という事なんだろうか。
 全員が全員、同じ夢を見るという事はないだろうし、何より夢の中がこんなにリアルだったら気持ち悪い。
 手で撫でた壁の冷たさも、隣に立つ仁王の体温も、赤也の戸惑う声色も、すべていつも感じているものと同じだ。

「…全員、いるな?」

 幸村が立ち上がった。

「むやみに動かないように。だいぶ古いようだから、床もいつ抜けるか分からない」

 ちらりと窓の外を見る。
 先ほどより窓に近づけば、下の様子が良く見える。

(…まじかよ。)

 ブン太は心の中で毒づいた。
 校門を見下ろすこの位置、そして奥手に見える体育倉庫。間違いない、今日の昼間もこれに似た景色を見た。

「…旧校舎」

 無意識のうちに、声は漏れていた。
 しんと静まり返るその教室に出口はなく、気づけば底にいたという事実。

「開かずの、教室…」

 ぽつりと呟いた赤也の声に、全員がはっとしたのは言うまでもない。
 扉の向こうはコンクリート。これならば開くはずもない。
 真田が扉を開けようと力をこめたが、まるでびくともしなかった。代わりに床がギシと不穏な音を立てている。

 ――― 『開かずの教室』は俺も知ってるって。アレだろ?外から見ると教室の数が一つ多いって奴だろ?

 たった数時間前、自分の言った言葉。
 丸井は背につめたいものを感じた。

 確かにさっき、旧校舎の教室の数を数えたら一つ分多かった。
 そして窓から見える景色からしてここは旧校舎。とすると、今現在いる場所は、今日の昼間資料を取りに来た教室の隣という事になる。
 つまり、階段を上がって、あるはずのない8つ目の教室。
 あの時は確か廊下の行き止まりは木目調だったはず。

「なるほどな」

 仁王は口角を持ち上げて呟いた。

「この教室は巧妙に隠されてるっちゅうわけか。おもしろい」

 何が面白いんだ。

 丸井は叫びそうになった。
 冗談じゃない、こんな話漫画か小説で十分だ。
 けれど叫ばなかったのは、仁王の声が皮肉めいていたからだ。

「柳生」

 仁王が窓際にいる柳生を呼ぶ。

「窓からは?」
「この高さでは無理でしょう」
「高さ云々の前に出られないな。鍵が開かない」

 ガンッ!!

「ぶ、ぶちょ?」

 柳が鍵をいじって見せたその直後、ド派手な音とともに、幸村の左拳がガラスを捉えた。
 その瞳は真剣そのもので、眼光は月明かりに照らされてぎらっと光っている。

「…窓ガラスさえ破れない。別の脱出ルートを考えるしかないな」
「壁もおそらくは木じゃないぜ」
「あぁ、仁王の言う通り。昼間俺たちが来た時は疑いもしなかったけど、その扉の向こうのコンクリート、木で巧妙に隠されてるっぽいし」

 一体何がどうなっているんだろうか。
 床は抜けそうなほどぎしぎしと音を立てているというのに、窓や壁はびくともしない。
 本当に開かずの教室だ。

 そして夢ではないと。
 決して逃れる事のできない現実なのだと思い知らされたのは。


「幸村、左手は大丈夫か」
「あぁ。真田が心配するほどの事じゃない」

 左手で、窓を破ろうとした幸村だ。

 これが夢なら。
 逃れる事のできる幻なら。

 幸村はきっと、右手で窓を破ろうとした。丸井に窓を叩けといわれたらきっと右手で破ろうとした。
 けれど幸村は左手を突き出した。テニスに影響のない、左手で。
 そこまで配慮するという事は、これは現実で、紛れもなく幸村は本物だ。

 丸井は確信した。

「幸村くん、この先どうするよ」
「…そうだな。この部屋で野郎とのたれ死ぬのはまっぴらごめんだ。突破口を考えよう」
「部長…アンタって人は…」

 そうだ、これでこそ俺の知ってる幸村くんだ。
 どくんと熱い血が全身を駆け巡る。

 幸村は幸村で、また思うところがあった。
 自分は部長として、うろたえていい立場ではない。特に強がっていても赤也は1コ下。
 おそらく本人が思うより、自分たちが思うより、その差は表面化するはずだ、と。

 その幸村の思惑通り、先ほどから赤也は幸村の制服の裾を掴んでいる。
 
(無意識、なんだろうな)

 それがどこか微笑ましく感じるのは、思っている以上に自分に余裕があるからなのかもしれない。
 けれどいつまでもここでこうしているわけにはいかない。
 す、と視線を移して丸井と仁王を見る。

(…今のとこ、信用出来そうなのはあの二人…)

 仁王とぱち、と視線が合う。
 その口が何かを伝えようと、声なく動いたそのとき。


「幸村!教卓の下に階段があるぞ」

 真田が、突破口を発見した。

「…深いな。降りてみるか?」
「どうする幸村」

 ジャッカルがその階段を覗き込み、真田は幸村に指示を仰ぐ。

 考え込む幸村と真田たちとのやり取りをなんとなく目で追っていた丸井の耳元で、仁王はさりげなさを装って忠告した。

「丸井、信用出来るのは自分だけ。それをよく覚えときんしゃい」

 驚いて、けれども不自然でないようにゆっくりと仁王を見上げる。
 その目はどこか寂しげに笑い、肩をすくめておどけて見せている。

「お前も信用するなっての?」
「俺に何かが化けてたらどうすんじゃ」
「…いや、お前は仁王だよ。ホンモノ」
「わからんよ。自分でもわからん」
「もし偽者がお前に成りすまそうとしてんなら、絶対に『真田が怪しいぞ』とか『幸村に気をつけろ』とか言うっての」
「…よう見とるのう、お前さん」
「何年ダチやってっと思ってんだよ」

 出入り口のないこの教室。
 出口の見えないこの迷路。

「行きましょう、幸村くん」

 立ち止まっていると、不安に全てを持っていかれそうになる。
 軽く仁王のわき腹をどつくと、幸村が暗がりでわかったと一言言った。

「出口がないなら突き進むまでだ。行こう、みんな」

 その一言を皮切りに、真田が先頭を切って階段を下り始めた。


[ update 07.09.08 ]

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 立ち往生なんて、王者には似合わない。
 赤也は本能で危険を察知していればいい。だから幸村の側を離れない。  [07.08.22]