コチ、コチと。しんと静まり返った部室に時計の音が響く。
その音をしばし目を閉じて聞いていた柳は、すぅっと少しだけ目を開き。一つ目は、と言葉を紡いだ。
「開かずの教室」
ドクン、ドクン。
変な汗まで、流れてきやがった。
丸井は柳の声に耳を傾けながら、しかし、意識は別のところにあった。
怖い話が苦手なわけではない。ただ、今、この場所での柳の話を聞いてはいけないような。はたまたこれから何かよからぬことが起こりそうな。そんな、不安に駆られているのだ。
仁王をはじめにあたりを見回す。
丸井と同じように硬い表情で柳を睨みつけるように見つめる仁王。
眼鏡が反射して表情は読み取れないが、うっすらと口元に笑みを浮かべているのを見たところ柳生は何も感じていないようだ。
その隣に座る真田は怖い話が苦手なのか、部活終わりにこんなことをしているのが不服なのか終始眉間にしわを寄せたまま。
真向かいに座る柳は表情一つ変えることなく淡々と開かずの教室について説明している。
仁王の向かいに座る幸村はその話を知っていたのだろう、床に後ろ手を着いて姿勢を崩している。
ジャッカルは顔面蒼白でただ単に怖がっているだけのようだ。
丸井の隣に座る切原もまた然り。期待と恐怖が内で戦っているのだろう。
一通り眺め終わったところで、仁王に再び視線を投げかける。
なにか、引っかかるものがあるからだ。しかしそれは叶わず、柳によって再び現実に引き戻された。
「聞いているのか丸井」
「え?あ、あぁ。つーか『開かずの教室』は俺も知ってるって。アレだろ?外から見ると教室の数が一つ多いって奴だろ?」
「あぁ。これは皆知っていたようだな。ならば『紅く咲く桜』は知っているか」
口元に薄笑みを浮かべて、柳がその場に座る全員を見回す。
そしてほぼ真向かいに座る切原の顔を見て、一瞬苦笑すると「赤也」と名指しした。
呼ばれた本人はよしきたと言わんばかりに口角を持ち上げ、元気よくそれって、と声を出す。
「バラみたいに紅い桜が咲くって奴ですよね?」
「で、その桜見たら死ぬんだよな、確か」
「え?そうなんすか部長」
「だよな、蓮二」
「あぁ。結構お前たち詳しく知ってるもんだな。丸井、お前は何を知ってる?」
ドクン。
たった一瞬、全身の血が引けた。それは錯覚でしかないのだろうが、この空間自体が何か異様なものにさえ思えた。
丸井はしかし、それを悟られないようにと視線を宙に泳がせ、七不思議を思い出す。
「俺、もともとそういうの興味なかったから少ないけど」
「あぁ」
「開かずの扉と紅く咲く桜の他は、放送室のなんたらかんたらってやつしか聞いたことねぇよ」
それすら、正しい内容は知らないけど。
そう付け足すと隣で仁王がそれは知ってるうちに入らんと笑う。思いっきりわき腹をひじ打ちしてやろうかと思ったが、丸井は仁王の顔を見てそれをやめた。
自分と同じくらい、冷や汗を流しているからだ。
「それはきっと『放送室の怨霊』だな」
部室の流れは変わらない。一つキーワードが出ると、柳が解説する。それを皆が聞き入る。
日常、それこそ部室にはつきもののその光景が、何故こんなにも焦燥感をかきたたせるのか。何に対して自分は焦りを感じ、そして怖がっているのか。原因がわからないからこそこの身を襲う不安が、初めてこんなにも鬱陶しく感じる。
「いつ、どこで、などの情報はないが、時たま奇妙なノイズが放送に混ざるらしい。そしてその音を聞いた者で元と同じ姿の者は一人もいない…これが七不思議での噂だな」
「こえーっ!」
「ふふ、赤也は反応がいちいち面白いな」
一つ、また一つ。
七不思議が解き明かされていくごとに、何かが近づいてきているような気がする。
「…仁王」
「あぁ、わかっちょる」
気づかれぬように。柳を見たまま、平静を装って隣の男に話しかける。
相手は仁王だ。付き合いの長さも半端じゃない。憎まれ口を叩きながら、それでもずっと一緒にいたのだ。互いの思うおおよそのところは理解している。
何かが、おかしい。
それは圧迫感さえあるこの場の空気からひしひしと感じている。
そしてそれを感じているのは、自分たち二人だけ。
一体何が起こっているというのだろう。否、何が起ころうとしているのだろう。
この変な胸騒ぎは、一体いつからあった? この七不思議の話を始めてから? 旧校舎で7つ目の教室を見つけたときから? それとも旧校舎へ入ったときから? または、もっと前から?
丸井は考える。今日の始まりを、考える。
「死への旅路、というのも確かありましたよね柳くん」
どくん。
「あぁ。ある楽曲を弾くとあるはずのない楽章を自分の意思に反して弾き始めるという噂だろう。しかしそれには二説あって、今話したものと、ピアノが勝手に奏でるものの二つあるようだ」
どくん。どくん。
「これで4つ…残りは3つですね」
どくん、どくんっ。
この先は、聞いちゃいけない気がする。
聞いたら、戻って来られない気がする。
丸井はぐっと握った拳に力をこめた。隣から、深く息をはく音がする。仁王だ。仁王もやはり何かを感じ取っている。決していいものではない、何かを。
「蓮二、階段にまつわるものもあっただろう」
「弦一郎起きていたのか。確かにあるぞ、『呪いの階段』。噂によると校内のどこかの階段を下ると、下階には着かず永遠に戻って来れないようだ」
違和感は全身を覆い、目の前の光景が現実なのかさえあやふやになってくる。
ちらり、と、幸村に目をやった。というのも偶然で、なんとなしに周りを見渡していたら、そこで目が留まったのだ。
気づいている。幸村も、気づいた。
胡坐をかいたその上に拳を握って、射るような目で何かを見ている。
(…なんだ、幸村くんは何をきっかけに気づいたんだ?)
始めは、確かに違和感を抱いているのは丸井と仁王だけだった。けれどその後で、何かを以って、幸村はこの空間の異常に気がついた。
なんだ、なんなんだ。何か、ヒントがあったはず…。
不安は焦りとなり、焦りは判断力を鈍らせる。
その点仁王と幸村は冷静さを持ち合わせているのだから、自分では気づいていない何かを掴んでいるはずだ。丸井は仁王を横目で伺った。伺った仁王もまた、何かを射るように見つめている。
何を?
…柳、を。
「次は『境界無き校門』…噂ではある条件を満たして校外へ出ようとすると、出られず気づけば校内に戻っているそうだ。そして最後は…『黄泉への入り口』」
柳の口元に浮かんだ笑みが一層、色濃くなった。
「この立海自体、昔のいわくつきの土地だったようで、校内のどこかに黄泉への入り口が出現する…これが七不思議での噂だ」
どくん、どくん、どくん。
「これで7つ、すべてお前たちは知ったことになる」
全身で脈打つ鼓動が苛立たしい。
こうして静かに柳の言葉に耳を傾けている今も、何かに潰されそうだ。
普段おとなしくしていられない赤也さえ、黙って柳を見つめている。自覚はなくても、何かがおかしいことに気づいているのだろう。
そして気づいたときには、もう後悔するしかないと。その選択肢しか残されていないというのも、『アイツ』らしいやり方だった。
「―――― 準備はすべて整った」
[ update 07.07.29 ]
そうして回りだした歯車は。
もう、とめられない。
お客様の指摘により誤字脱字修正。 [ 07.07.30
]