目の前で、何が起こっているのかわからなった。
思えば確かに俺が中学三年になってからというもの、幸村先輩には会っていなかった。それどころか他の先輩たちにも会わなかったので、ただ単に高校って忙しいんだなとしか思っていなかった。
「精市は、立海の高等部へは来ていない」
何かをひたすら押し隠すように、まるで吐息を吐くように静かにただ静かに告げられた一言は、俺の足元を揺らがせるには十分すぎた。
あんたは、蒸発した。勝手に姿を消した。俺の前からも、みんなの前からも。
「…俺たちの責任だ。あいつが抱えてるものを分かち合ってやれなかった」
見学に行ったテニス部の練習が終わって柳先輩と一緒に歩くことになった帰り道。近くにあった公園のベンチに、長い足を邪魔そうに折り曲げて先輩は苦々しげに呟いた。
「全国三連覇…二連覇を達成した三強の内負けたのはトップだったはずのあいつ一人だ」
傷を平気で相手に見せるような奴じゃない。ひた隠しにして限界を突破しても己のうちに抱え込む。そうしてその限界の限界が訪れた時に病に倒れた。一度俺たちは身をもって体験したはずなのに、また同じことを繰り返してしまったんだ。
柳先輩の涙を見たのは、それが初めてだった。
責任の重さなんて、嫌というほどわかった。
俺が部長を託されて、もう一度王者の栄光をと期待されて、我武者羅に突っ走って練習して後輩を仲間をまとめあげて。俺なんか幸村先輩の足元にも及ばないってくじけそうになったこともあったけど、俺は俺なりに、俺は俺なんだってその一心で全国まで仲間を引っ張っていった。
結果的に全国を制覇したわけだけど、それが出来たのも幸村先輩が俺の中でずっと背を押してくれていたからだ。
またね、ってあんたが言った。だから次にあったとき、俺は胸張って会えるように全国制覇だってした。
だけど、待ち望んでいた再会を果たすことはなかった。
おっきくなったね赤也。そう言って、変わらない優しい笑みで笑い掛けてくれるもんだと信じて疑わなかった。
俺を倒す?まだ生意気言うの、この口は。そう言って、いつもそうしていたように俺の鼻を軽くつまんで悪戯に笑ってくれるものだと、そう、思っていたのに。
「逃げることなんて知らないような奴だったのにな…そこまでアイツを追い詰めたのが俺たちなんだと思うと…ひどく悔しいものだ」
「…幸村先輩、どこ行ったんですか」
「…俺にも弦一郎にも告げずに、ふらりと姿を消したよ。ご家族に聞いても口止めされてるからと言われてな」
「そうっすか…」
真田先輩は、以前にも増して我武者羅に練習するようになったと言う。それがあの人なりの幸村先輩への思いの伝え方だってみんなわかってるし、その行動力と意思は尊敬できるから、真っ直ぐに前を向いて生きている真田先輩が俺は羨ましかった。
柳先輩は今でこそテニス部でレギュラーをとっているけれど、始めのうちはテニス部にも入部しなかったらしい。幸村先輩なしで、それも幸村先輩を追い詰めたテニスで、自分がのびのびとプレーすることなんて出来ないと思っていたから。
そんな柳先輩をテニス部に引き戻したのは、意外なことに仁王先輩だという。
『幸村のため? 自分への言い訳に名前使われたんじゃ、あいつも失望するだろうな』
その一言が決め手だったらしい。自分でも知らず知らずのうちに幸村先輩の存在を言い訳にして、問題から逃げていたのは自分だと気づかせてくれたのが仁王先輩。
仁王先輩はいつだって掴み処なく立ち回っていたけれど、誰より部員を観察していたのももしかしたら仁王先輩だったのかもしれない。
幸村先輩の居場所なんて知らないだろうけど、それでも一番幸村先輩に近いのは丸井先輩だと柳先輩は言う。幸村先輩が立海の入学式に来なかった時、そして入学しないのだと知った時、一番落ち着いていたのは丸井先輩だったらしい。
やっぱりね。そう呟いた丸井先輩は、予測できていながら手を打てなかった自分に舌打ちをしていたと。
柳生先輩とジャッカル先輩は、最初こそ取り乱しはしたものの、優しすぎる二人だからその話題には触れないようにしているのだとか。さりげなく仲間のフォローに走ったりだとか、時折暗くなる雰囲気を変える役目だとか。たぶん一番残された仲間でつらいのはこの二人なんだろうと思うと、自分が入部してからは、俺も空気を変えられる存在になろうと誓った。
どうして意地でも探し出さないんですか。
それは喉まで出掛かって、けれどいえなかった。同じようにどうして教えてくれなかったんですかとも聞けなかった。俺がもし柳先輩と同じ立場だったとしても、きっと言わなかっただろう。いや、言えなかった。
誰かに言ってしまったら現実になる。幸村先輩のいない日常が、本物になってしまう。
1年だ。もう、1年。その間俺は1年我慢したら幸村先輩に会えるものだと勝手に思っていたし、それを疑うなんて概念持ってすらいなかった。
だけど、本当に。
幸村先輩は、逃げた?
OBに何か言われるのが怖いから? 自分で自分を責め続けているから? 家族に口止めしてまで俺たちから?
真実なんていくら頭の悪い俺が考えたところで分かるわけなんかないんだけど、なんだかどれもしっくり来ない。たった一つの真実は、今俺たちの目の前に幸村先輩がいないって言うこと。
そして、誰も直接探すななんて言われてないってこと。
高校生になったからと言って大人になったわけじゃない。背伸びしたって大人にはなれないし、背伸びしたところで笑われるのがオチだ。
なら地道に行こう。地道に少しずつでも情報を集めて、幸村先輩の居場所、突き止めよう。
なんで何も言わずにいなくなったのか。どうして家族にまで口止めしているのか。
それができるのは、たぶん俺だけなんだ。
隣で苦笑する柳先輩を尻目に、俺は心の中で決意する。何年掛かったって構うもんか。だって幸村先輩はあの日、またねって言って笑ったんだ。なら。
ぐっと拳を握る。歩き始めるなら、早い方が良いに決まってる。
「柳先輩」
すっと立ち上がって振り返る。俺は柳先輩みたいに頭使って考えるのは苦手だから、体使って動くことにするよ。そう口には出さずニッと笑みを浮かべて頭を深く下げる。
「幸村先輩のこと、全部隠さず教えてくれてありがとうございます。俺テニス部もちゃんとやりますけど、幸村先輩のこと諦めるつもりもないです」
「…そうか。頑張れよ」
「ッス!失礼します!」
今、この瞬間から歩き出す。たった一人、アンタだけを探すために。
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