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My sweet sweet
通学路から2本ほど奥に入った路地にその店はひっそりと構えている。
積み上げられた赤レンガは腰の丈ほどでその数を減らしていき、肩の高さにもなるとオフホワイトの外壁が温かく店を包んでいる。ステンドグラスに彩られた窓と窓の間には、バロック調の鉢植えが壁に掛けられており、白と紫のクロッカスが来客を待ちわびて咲いている。大きめの木製の扉には看板が吊るされていて、同じく木製のそれには、白字で『Cafe
Virosa』と流れる文字で綴ってある。
聞いたことのない店だ。
この道を通ったのが偶然なら、この店を見つけたのも偶然。
ちら、と買ったばかりの時計を見ると約束の時間まであと2時間。時間はまだまだある。
(行くあてもないし、ちょっとだけ)
誰に問われることなく己の内だけでそう呟いて、望美はかくして温かみあるその扉を押しあけた。
「あれ?」
望美は行儀悪くフォークを口にくわえたまま首をかしげた。
あれからどのくらいの月日が流れたのだろう。季節は巡り巡って冬を迎えた。未だに記憶に残るクロッカスが春だと告げているのだから、もうじき1年が経とうか。
初めてこの店を訪れたあの日、この店オリジナルのブラウニーと紅茶に一目惚れした。一目惚れ、というには少々語弊があるが、とにもかくにも運命の出会いを果たした。
元々甘い物好きではあったが学生の身分であるしバイトをしているわけでもなかったため、スイーツ巡りをしていたわけではなかった。だってお金がない。だから知り合いがお土産にと買ってきたお菓子を食べるか、隣人の幼馴染がイベントの時に作ったお菓子を頬張るかくらいしか、ちょっとリッチな洋菓子を食べる機会というものはなかった。
舌が肥えていないというのも一役買っただろうとは自覚している。けれど一度この店のブラウニーを食べてしまったら、もう他では食べられない――とまでは言わないが、ともかく望美にとってその味は好みのど真ん中ストライクだったのだ。
以来何度も足を運んでは紅茶とブラウニーを食べた。シフォンケーキやガトーショコラなんかにも手を出してこれたのは偏に、この店の店主である弁慶と仲良くなれたことが大きいだろう。
弁慶は一人でこの店に置いてあるお菓子を作っている。誰に手伝わせることもない。故にレシピは謎に包まれているが、おいしいのは折り紙つきだ。だって宣伝していないのに店がつぶれない。リピーターが後を絶たないのである。
ついでに人件費を割いていないことも大きいだろうと思う。いつ来ても弁慶以外の従業員を見たことのない望美が「バイト雇わないんですか?」と多少の下心を持って訪ねた時、彼は悪戯に「忙しい時は可愛い甥っ子が手伝いに来てくれるんです」と笑ったため、以来その話題は持ち出し難くなってしまった。
そう、ブラウニーと紅茶と運命的な出会いを果たしたあの日、実はこっそり弁慶にも一目惚れをしている。
はっきりと年齢を聞いたことはないが大学は出ているようだし、スーツを着た優しそうな人と親しげに話しているのを見たこともあるから、きっとだいぶ年は上なのだろうと思う。だからこの恋が報われるだなんて思ってない。憧れに近いそれは、けれど確かに恋心なのだと自覚してはいるけれども、望みを持つにはあまりにも大きな賭けであることも同時に自覚しているつもりだ。
だから。
だから、ここに通うのはただ単にここのお菓子が好きなだけ。
いつかと同じようにこっそりと自分の内だけで呟いて、望美はもう一口、ブラウニーを口に運んだ。
「…弁慶さん、このブラウニー何か作り方変えました?」
さっきの違和感は間違いじゃなかった。
カウンター越しに自分もちゃっかり紅茶を飲む弁慶に望美が問い掛けると、弁慶はくすりと笑って色素の薄い前髪を揺らした。
「さすがは望美さんですね。ご名答です」
「やっぱり! なんだか前よりちょっとだけ甘くなくなったっていうか…」
「印象が軽くなりましたか?」
「そう! それです!」
ぱっと満面の笑みを咲かせる望美に、弁慶は目を細める。
「実はチョコを変えてみたんです。もうじき春になりますし、すこし甘みを抑えようかと」
「え、季節ごとに材料変えてるんですか?」
「えぇ。君に飽きられて、来てもらえなくなっては困りますからね」
それは常連客に対する意味合いだったにしろ、望美を舞い上がらせるには十分だった。
望美はうぅと呻って、赤くなっただろう頬を隠すために紅茶を口に運ぶ。気に食わない。なんだかこちらの気持ちを見透かした上で翻弄されているような気がする。
それが自意識過剰だなんてことぐらい本当はわかっているけど、でも。
好かれてる自信はないが、嫌われてるとも思ってない。
学生ながら通いつめてくれる望美を気遣ってか、それともお菓子に対しての情熱をくみ取ってか、弁慶はたまにおごってくれる。たまに、というのも、そんなに頻繁に来るわけでもないのだし、だいたいにして高いお菓子を食べていくわけではないのだから毎回おごってもいいのだけどという弁慶に対して、望美が断固として譲らなかった結果である。
顔を覚えて貰ったのも早かったし、お店に来たら必ずカウンターに座らせてくれる。それは大きな意味を持つと望美は知っていた。
弁慶は客が来ても滅多にカウンターに座らせることはない。カウンターは6席あるが、全て完全指定席のような扱いになっている。これは暗黙のルールというか弁慶が勝手に決めたことだが、嬉しいことに望美もその指定席の一つを貰えている。
だからだから。
嫌われてはない、はず。
そんな望美の内心を知ってか知らずか、弁慶はそうそう、と言って立ち上がった。
「?」
少しだけ冷たくなった紅茶を飲んで、望美は奥に引っ込んだ弁慶の背中を目で追った。
カッターシャツにギャルソンエプロンを巻いただけの弁慶は、そう身長が高いわけではない。しかし逆にその身長がしっくりハマりすぎる柔らかい物腰と顔立ちに、モテるんだろうなと眉根を寄せる。
そういった話は聞いたことがない。指輪もはめていないし、首に通しているわけでもないが、それはただ単にお菓子を作るからな気がする。
実らない恋だと諦めるには中途半端なこの状況は、彼の作るお菓子とは違って幸せな気分にはしてくれない。
一切れおまけに貰ったブラウニーも残り半分となったところで、奥から弁慶が小さな包みを抱えて戻ってきた。
「うっかり忘れてしまうところでした」
そう言ってさらりと色素の薄い長い髪を肩から滑らせて、弁慶は包みを開いた。
「わぁ…!」
望美は小さな子のように目を丸々と見開いて、立ち上がってその小包の中にあるものを見た。
弁慶の片手にすっぽりと収まるそれは、望美が見ても詳しいことはわからないが生花でないことは確かで、だけど今にも香ってきそうな桃の花の装飾品だった。
髪飾りだろうか、コサージュだろうか、それとも別なものに使うのだろうか。
けれどその用途よりもその見た目がとても可愛らしくて綺麗で、繊細な作りに望美は目をキラキラと輝かせる。
「すっごい綺麗ですね! どうしたんです、」
か、と続けようとしたがそれは叶わず、顔を上げた先、思いの外近い距離で存在した弁慶の顔にぶわっと頬を染めた。
いそいそと顔を赤くしながら座り直す望美を見て、弁慶は気付かれぬようくすりと笑う。
「…僕の知り合いが、デザイン関係の仕事をしているんです」
私一人こんなに動揺して馬鹿みたい。悔しさから、かすかに笑ったような気がする弁慶を睨むように見上げれば、弁慶はどこ吹く風で説明を続ける。
「彼の妹の誕生日にと作っていた髪飾りなんですが、実際に贈ったのは違う花の髪飾りだったようで、これは使わないからと僕が我儘を言って貰ったものなんです」
「え、べ、弁慶さんがですか?」
「えぇ、僕がです」
まさか彼が使うとは思っていないが、あぁでもそれはそれで似合いそうだなぁととんちんかんなことを考える望美の思考は、すでに混乱しきっている。
いきなりどうしてそんな話をし出したのか。そもそも彼の友人関係だとか個人的な話を気くのは初めてじゃないか。とか想うところは多々あるのだけど、何より気がかりで仕方ないのは、彼がその手に持つ髪飾りを見る目が、話す仕草が、どうにも愛おしげで見ていられない。
報われるなんて思っていない恋だけど、だけど諦めたわけじゃなくて。
(あぁ、全然大人になんかなれやしない)
望美は半ば泣きそうに自分の思いの深さに気付いて、報われたいんだ、と報われない恋に唇をかむ。
本当は見たくない。
弁慶が自分以外の人と仲良くする姿も、誰かに贈るのかもしれない髪飾りを愛おしげに見つめる姿も。笑う顔も驚く顔も、優しい声も困った声も全部が全部自分のものになったらいいのにと思っている。
すっかり冷めきった紅茶を飲む。
苦味が増したように感じるのは、果たして温度だけのせいだろうか。
「望美さん」
「、はい」
その声音がいつもに増して柔らかくて何かを含んでいる声だったから、思わず肩がびくりと跳ねる。
す、と視線を上げた先で弁慶は、髪飾りを乗せた手をずいっと望美に向けて差し出した。
「え?」
意図が分からず困惑を瞳に浮かべて、差し出された手を通り越して弁慶の顔を覗くと、弁慶はわざとらしく眉をあげておやと言った。
「悲しいな。僕の声は君の耳まで届かなかったかな」
「え? あ、もしかして私、ぼーっとしてて話聞いてませんでした?」
慌てて立ち上がろうとすると、弁慶がくすくす笑ってすみませんという。確かに君はぼうっとしていたけれど、それを知っていて話を続けたのは僕なんですと。
「これは、君に差し上げます」
「これ、って、えぇっ? こ、この髪飾りを?」
「えぇ。僕が持っていても仕方ないですし」
「だ、だけど」
「それとも君は僕からの贈り物は迷惑かな」
「まさか、そんな!」
「では貰ってくれますね、望美さん」
う、と声を詰まらせるしかない。
なんだこの展開は。
望美は抱えたくなる頭を必死に回転させて、かろうじてありがとうございますとお礼を述べて手を差し出すことが出来た。
それに機嫌をよくした弁慶は、もう紅茶が冷めていますねと望美の手からカップを抜き取り新しい、温かい紅茶を注ぐ。
ちらり、と一瞥した望美の頭の上には、見えるはずもないのにクエスチョンマークがそこかしこに浮かんでいる気がして緩みそうになる口を押さえるのに精一杯だ。
(無理もない、かな)
そして当然のことと弁慶は思う。だって今までそんな態度おくびにも出してこなかったのだから。少女の好意に気付かなかったわけではないけれど、自分が感じるそれは事実なのではなく願望を大いに含んでいる気がしていたのだ。
けれど。
「その花の、謎が解けたら教えてくださいね」
「へ?」
自分だって健全な男なのだから、いつまでも願望だけを頼りに逢瀬を楽しむんじゃつまらない。少しでも願望が事実になるようにと願いを込めて、弁慶は艶のある笑みで望美に向かって微笑んだ。
Fin.