全国大会が終わって2度目の日曜日、立海テニス部のレギュラーは最後の合宿に臨んでいた。
三年生は夏休みが終わると同時に引退することになっている。このメンバーで一緒にいられるのもあとわずかだと、誰一人口には出さないがそんな思いが全員をこの合宿に駆り立てた。
言い出したのは赤也だった。自分たちも可愛がっている後輩の一言だっただけに、異議を唱える者はいなかった。
けれど中学生の身分で旅行などそうそう出来るものではない。どこに行きたい、あそこがいい。意見は様々飛び交ったものの、結局春休みに毎年使っていた柳の叔父のペンションを借りて4泊5日のちょっと長めのスケジュールで、それも合宿という名目で、この夏を締めくくることにした。
そんな合宿の初日は移動とペンションの掃除に丸一日を費やしてしまったが、2日目である今日は朝から浜辺に来ている。ちなみに予定では足腰強化の砂浜ダッシュとなっているが、ダッシュしている者は一人もいない。
日差しの強さに軽くため息をついて柳が砂浜に散らばる部員たちを観察していれば、せわしなく動いていた後輩が自分の元に駆け寄って来るのが見えた。
「柳先輩、見て下さいよ! すごくないっスかこのヒトデ、超デカいっしょ」
犬がフリスビーをくわえて持ってくるようにえへへと笑う赤也に、柳はふっと頬を緩めてあぁ確かにすごいなと褒めてやる。
「ところで赤也」
褒めてやったはいいが、何も頬が緩んだのは犬のような後輩が可愛いからではない。本人は気付いていないのだろうが、頭に乗った物体がなんとも絶妙にマッチしていて腹の底から笑いを誘ったからだ。
「頭にわかめが乗っているがそれは新しいファッションか?」
「へっ? …あーっ! ちょっとコレ仁王先輩でしょ!」
あんなに自慢げに手にしていたヒトデをべしっと砂浜にたたきつけて、赤也は髪に乗せられていたわかめを手にするとずぼずぼ砂浜にはまりながら仁王や丸井、柳生のいる方へ走りだした。
おうおうちっこい悪魔が来よった。
そう言いながらひょいと赤也の突進をかわし、仁王は来ていたパーカーを赤也の頭にかぶせ、赤也の背中に覆いかぶさる。じたばたもがく赤也の手がそばにいた柳生に偶然当たり、柳生は手にしていたカニを赤也の足の甲の上に置いた。
「ぎゃっ! 痛い! 何スかコレ!」
カニに足を挟まれたせいで一瞬止まった動きを見過ごすはずもなく、バケツに海水をめいっぱい汲んできた丸井が赤也の海パンめがけて勢いよくぶちまけた。
「だはは、赤也おもらししてやんのー!」
「中学2年生にもなって恥ずかしいですね」
「丸井、俺にまでかけるこたないじゃろ」
「悪い悪い」
「だーっ! ちょっと、放して下さい、よっ」
頭にかかったままだったパーカーをずるずる手で手繰り寄せ、腕組みしながら傍観していたジャッカルめがけて投げた。と、同時に赤也は丸井に向かって再び突進し、バシャンという派手な音と丸井の悲鳴と共に海にダイブした。
「しょ、しょっぱ!」
何やら結構に盛り上がってきたようなので、柳もそちらへ足を向ける。海水を盛大に飲み込んだらしい丸井はどうやらむせてしまったようで、柳がジャッカルの隣に並ぶまでずっとせき込んでいた。
赤也は次の標的を仁王に定めたようで、わかめの仇!ととんちんかんなことを叫びながらタックルしてはかわされ、つかみかかってはよけられ、ということを繰り返している。
「ジャッカルはあれにまざらないのか」
パーカーを手にやはり傍観していたジャッカルに視線をずらすと、あぁなるほど、と柳は納得した。
「まざらないのではなく、すでに被害に遭った後か」
「そういうこと。真っ先に赤也とブン太に沈められたっての」
見ると海パンはすでに濡れていて、肩にかけたTシャツからは水が滴っている。いつもなら止めに入るはずのジャッカルが、こうして傍観しているということは随分と手厚く海に歓迎されたのだろう。赤也と丸井が手を組めばなかなか止めるのは難しい。
「あぁ、柳君もいらしてたんですね」
濡れた前髪を手でかきあげながら、爽やかに柳生が笑った。その後ろで丸井も赤也も仁王までもが肩まで海水につかっている事実は見なかったことにして、あぁと軽く柳生に向かって手を挙げる。
「おや。幸村君と真田君はご一緒ではなかったんですか」
「…あぁ、あいつらなら、」
と言いかけたところで「待て幸村!」と、聞き様によっては悲痛な叫び声が当たりに響く。声のした方向を見ると、叫び声をあげた本人ではなく、花が咲いたように可憐な笑顔をいっぱいに咲かせた幸村が駆けて来た。右手にはビーチサンダル、左手には鰈を持って。
「みんな! 見て、鰈獲った」
ぶんぶんとビーチサンダルを振りまわして柳たちのいるあたりまで走って来ると、ぐってりした鰈をほら、と言って差し出した。
「いつの間に海なんかに入ったんですか。ていうか今までどこにいたんですか」
「海岸散歩してたら波打ち際にいてね。サンダルで叩いたら気絶したらしい」
すげぇ俺もやりたい!と言って目をキラキラさせる頭の弱い後輩は置いといて、柳はす、と幸村の足元を見る。情けは逆に可哀想だからなと後輩に向かって物騒なことをいう幸村の足元は、両足とも水色のビーチサンダルで飾られている。
「精市、そのビーチサンダルは」
「うん。真田の。貸してってお願いしたら貸してくれたよ」
「なぎ倒してもぎ取った、の間違いではなくてか?」
「え、すごい。どうしてわかったの蓮二」
「左ひざとパーカーに砂が付いている。大方サンダルをもぎ取る時に弦一郎が暴れたんだろう」
「さすが蓮二。名探偵みたいだな」
「褒め言葉として受け取っておこう」
軽口の応酬を終えて、幸村は体についた砂を払う。払い終わったと同時に「幸村」とひときわ低い声が聞こえて全員の視線がそちらへ向かった。
「お、お前という奴は、人のサンダルを海に投げるなど」
肩で息をしているところを見ると、本当に全速力で走ってきたのだろう。おまけに全身ずぶ濡れだ。
幸村はそんな真田を見てぱんといい音を立てて手を胸の前で合わせて微笑んだ。
「わぁ真田、お前水も滴るいい男になっているぞ」
「ぬ、そ、そうか」
ぽっと赤く頬を染めた真田を見て、うわぁと漏れた赤也の声が真田の耳に届かなかったのは幸いである。
幸村の手からようやく自分のサンダルを取り戻せた真田は、ぶんと一回頭を振って髪が含んだ水を払う。それを見て幸村がわんこみたいに可愛いなぁと呟くので、今度は赤也のみならずその場にいた全員が顔をしかめた。
「あー…今日は猛暑じゃのう」
「今日に限らず毎度のことですがね」
「なんか冷たいもんねぇかな」
「あ、あっちに海の家ありますよ!」
「へぇ。いっつも春ばっか来てたから気付かなかったな」
しらけたとでも言うように砂浜を引き上げ海の家に向かう面々に、真田の頭をわしゃわしゃかきながら幸村が首をかしげる。
「今日はそんなに猛暑じゃないだろう」
「気分的な問題だ。とりあえず弦一郎、そのたるみきった顔をどうにかしろ。気分が悪い」
それほど目立った変化ではなかったものの、付き合いの長い柳はそれを一蹴して海の家へと足を向けた。
Fin.