来てしまった。とうとう、この日が来てしまったのだ。
いつもよりもだいぶ早く目が覚めて、すっきりしない頭のまま顔を洗いに行く。冷たさのおかげで妙に目は覚めたのだけど、できることなら覚めて欲しくなかったとも思う。
制服に着替えてネクタイを締めずに階下に降りる。親は今日くらいしゃきっとしなさいと小言を言っていたけれど、今日だから出来ないんだろと言い返してみた。気分は笑えるほど重いというのに朝食はしっかりいつもと同じ量をたいらげたのだから、きっと自分はいつもと何一つ変わらない。あの人たちと会ってもいつもどおり、笑えるはず。
朝食を飲み込むのと同じように、その言葉をも自分に言い聞かせるように飲み込む。牛乳を勢いよく飲んで、歯を磨いたら出発だ。結構早いけれど教室で一人感傷に浸るのもいいかもしれない。
自嘲気味に笑って、今日の俺ってばちょっと大人じゃね?とか思いながら玄関の戸を開ける。
「…えっ?」
開けた瞬間目に飛び込んできたのは、塀の上に一定の間隔で並んだポテチだった。
「あれアンタらのせいだったんスか!」
卒業式を終えた部室に、赤也の声が響き渡る。はあぁと脱力して息を吐き、へなへなと机に手をかけながらもしゃがみこむ。
そんな様子を見て盛大に笑ったのは丸井と柳だった。
「発案者は精市だ」
「でも実行者は丸井と蓮二だよ」
「幸村くん朝弱いかんね。柳と俺で早起きしてお前ん家経由で学校来たんだよ」
悪びれもなくあっけらかんと自白する三人に、赤也は言葉一つ出なかった。
今思い返してもあの衝撃は忘れられない。むしろ先ほどの出来事のようにありありと思い出せる。
声にして言いたくはないけれど、やっぱり大好きな先輩たちの卒業というのは大きくてだいぶ凹んでいた。高校に入ったらまた会えるという意識はあるのだが、その間の一年は今の自分たちには大きすぎる。
正直卒業式なんか来なければいいと思っていた。思っていたから朝、家を出るのが憂鬱だった。
そんな気分で戸を開けたらどうだろう。
家を囲む塀の上に、綺麗に等間隔で並べられた数枚のポテチ。目は覚めたと思ったけど寝ぼけてんのかもしれないと、ばちばち瞬きをして、再び見てもポテチは3m前方の塀の上に鎮座している。
戸を閉めて5秒数えてまた開ける。それでもやっぱりポテチはいた。
なんなんだ。
きっとその時の自分の顔は余程しかめっ面だっただろうなと赤也は思う。
実際にはしかめっ面というよりはアホ面だったのだが、夢は見ておいてなんぼだ。いつか覚める日が来るのだからそっとしておいたほうがいい。
塀の上に並べられた7枚のポテチ。風で飛ばされたからと言ってこんな綺麗に並ぶはずはないので、意図的に誰かがやったものだろうとは思っていたがまさか部の先輩だったとは。
「本当はビデオカメラでも仕掛けておいて、お前の反応も見たかったんだけどさ」
「それじゃあ犯罪だからちゅうて、影で見とった」
「は!? アンタらあの時いたんスか!?」
「うん。俺が盛大に吹き出すものだから、仁王がすかさず犬の物真似してくれた」
「…あぁそういや犬の声してたな…」
どんだけ暇なんだ。ていうかなんで卒業する側のほうがすっきりしてんだ。
式中もいいだけ泣いた赤也はすでにぐったりしていて、自分とは反対に元気の有り余る先輩たちを見ながら少しだけしょげてみる。
(ちぇっ。別れを惜しんでるのは俺だけかよ)
自分にとって幸村たちはとても大きかった。怒られてばかりだった。けれど一緒に笑いあってきた。
大好きで、ただ純粋に大好きで、別れたくないと思う。置いていって欲しくないと思う。
けれど幸村たちは卒業する。今日、すでに卒業してしまった。
そんな感傷に浸り気味の赤也など置いてけぼりで幸村と柳、それに丸井と仁王は尚もポテチの話題で盛り上がる。
「今日風なくてよかったよな」
「うん。まぁ風強かったらポテチを接着剤でくっつけてもらうつもりだったんだけど」
「なんでそんなにポテチに拘るのかね」
「新発売された新しい味に果敢に挑んだんだけどね。見事に外れて余ってんだ」
「あぁあの味な。あれは酷い」
「だろ? 最近お菓子業界も迷走してるよな」
「数打ちゃ当たる戦法できているようだな」
今日は卒業式だったはずだ。
数分前までは確かに自分の中ではそんなムードだった。部室に行く足取りさえ重かったし、あけてしまったら後戻りが出来ないという実感があった。今朝のそれと同じだ。
赤也ははぁとため息をつく。
(こんなとこにいていいのかよ…この人たち人気あるから、女子とかに呼ばれてんじゃ…)
そこまで考えてはたと気づく。
目の前の先輩に当たる男たちは、女子からの人気が半端ない。それこそ腹の立つくらい。
真田あたりはよくモテないとからかわれているが、それもテニス部レギュラー内でのこと。他の一般生徒に比べたらだいぶモテる方だし老けてはいるが渋くていい顔をしているといえない事もない。その真っ直ぐな性格ゆえ遊ばれてばかりだが。
そんな先輩たちが、式が終わってすぐ、式を終えた格好のまま部室にいる事がまずありえない事なのだ。昨年卒業した錦は、人柄の良さから男女問わず人気があり、特に女子からの人気は凄かった。式を終えた後レギュラーの引継ぎ式は昨年も恒例行事の一環としてあったが、引継ぎ式に姿を見せたときには、ブレザーのボタンは全部奪われていたし、校章も組章もなかったように思う。
なのに目の前の人たちは、なんら変わりない姿で部室にいる。
真田は用事を済ませてから来るらしくまだいないが、最近のお菓子業界について討論会を始めた幸村、仁王、柳、丸井の4人、を微笑ましいですねといいながら椅子に座って紅白饅頭を早速頬張っているジャッカルと柳生。
いつもと変わらない。卒業式だというのに、何一つ変わらない。
だからかな、と赤也は思う。卒業式だからいつもと違う雰囲気を楽しみたかったのかもしれない。勿論、卒業式である以上別れがつきまとうのだから楽しいという表現はおかしいが、それでも卒業式ならではの雰囲気を期待していた。
自分にとって卒業生がただの先輩という位置づけではない以上、しんみりしてしまうのも今日だけの特権だと思っていたのだ。
なのに部室のドアを開けたらいつも通りの先輩たちがいた。女子にボタンをもぎ取られたりだとか、校章や組章がなかったりだとか、そんな卒業式っぽいいでたちではなく、明日からも学校に来そうないつもと同じ雰囲気で。
(しみったれてんのは、やっぱ俺だけかなぁ)
3年生にとって、失うものは赤也ひとりだけれど、赤也にとっては一度に7人を失うのだ。7人が部を引退する日、任せたといって幸村が自分の肩を叩いた時、堪えていた涙がぶわっと溢れ出した。あの時もいいだけ泣いたというのに、今日で本当にこの学校からいなくなっちまうんだと思ったら、また涙が溢れそうになった。
(あ、やば…)
ついにその涙が溢れそうになった瞬間。
「買ってきたぞ」
「おそいよ真田」
「どこまで行ってきたんだ」
「おっしゃーこれで準備オッケーだな」
「紅白饅頭もなくなったことですしね」
「は?お前もう食いよったんか」
「あれなかなかウマかったぜ」
「ぬ。どうした赤也」
ぽかんと、遅れて登場した真田の元に集まる三年生を見つめていたら、不意に真田に名前を呼ばれて条件反射でびくっとした。
それを見た幸村は、あははびくってると指をさして笑ったが、いつもは乗るはずの仁王とブン太の声はなかった。それをいぶかしんで視線を二人にずらせば、びっくりするくらい優しげに笑っている。
そして極めつけ。
真田の手に握られた「買ってきた」ものを見て、赤也は状況をようやく把握した。
(え、まさか、この人たち…?)
どうせ互いが互いを当てにして、結局は誰一人持ってこなかったんだろう。真田の大きい手におさめられた二つの使い捨てカメラは、とても小さく見えたが、確かに存在を主張していた。
だんだんと引けた涙が戻ってくる。ず、と鼻をすすると丸井ががしっと肩に手を回した。
「なんだよ、俺たちが相手にしてあげなかったから寂しかったのか?」
「はぁ!? 違うッス!!」
「照れんなよー」
耳元でそんな大声出されたら煩い、と言ってやろうかと思った。でもこの部室でじゃれあえるのはもしかしたら最後かもしれないんだと思ったら言えなかった。
その繰り返しだ。赤也はとうとう涙を堪えきれなくて、つぅっと頬に一筋線が入った。
「ほら、泣いちまったじゃねぇか」
「何?俺のせいなわけ?」
「半分そうだろ。な、赤也」
「あ、アンタら全員のせいっすよ…」
生意気で強気で、元気が有り余ってる後輩が、自分たちのせいだといって涙を流している。
引退する日もいいだけ泣かれた。そうでなくとも、この可愛い後輩にとって、自分たちが少なからず大きな存在である事は自覚している。そうなるようにひたすら可愛がってきたのだ。
「赤也、俺たちだってお前と別れんの辛いんだぞ?」
「は、はい」
「でも絶対遊びに来るから。な?」
小さい子に諭すように、ジャッカルは優しく頭を撫でる。
大人しく頷く赤也を見て丸井はお前可愛いなぁとぎゅっと抱きしめようとするが、その瞬間に視界がぱっと光った。
「泣いてる赤也を激写しました!」
「はぁ!? アンタ最悪!」
悪びれも泣く敬礼ポーズをとる幸村に赤也は噛み付く勢いで吼える。
後輩の元気が復活してきたからか7人にも余裕が出てきて、次に赤也に声をかけたのは仁王だった。
「赤也」
「なんすか」
「俺な、弟出来たみたいで楽しかったんよ。じゃから仕方ないから高校で待っとってやるよ」
「仕方ないってなんなんすか」
「まぁ早く追いつきんしゃい。待ってやるのは一年だけじゃ。留年したり浪人したらもう待ってやらんぞ」
「縁起でもないこと言ってんじゃないですよ」
「あでっ、おまっ…!今紳士である事放棄したじゃろ!」
にっこりと笑顔で赤也に語りかけた仁王の後ろから、卒業証書を入れた筒で柳生が結構本気で殴った。紳士である事を放棄した柳生は、あなたに対して紳士でも仕方ないでしょうといいながらティッシュを赤也に差し出した。
「寂しくなったらいつでも連絡くださいね。真田君をこちらへ送りますから」
「ぬっ!? お、俺か?」
「言わずともあなたが勝手に…おや、泣いてるんですか、真田君」
道理で静かだと思いました。
冷静に柳生がそう返せば、7人の視線は一気に真田に集まった。
「こ、これは違う…!泣いてなぞ、」
「やっぱり真田が一番に泣いたね、蓮二」
「あぁ。あいつ何だかんだで赤也を一番気にかけていたからな」
「えーそんなんみんな一緒だろぃ?」
淡々と話を進める後ろで真田は力強く鼻をかんでいる。これはちがう、涙ではないと叫びながら。確かに涙ではなく今かんでいるのは鼻だが、からかわれたことによる冷や汗も相俟ってもはやなんなのかわからない顔になってきている。
「赤也。俺たち卒業するけどさ、部活に出なくなるだけだから」
「…はい」
「そうだ。花見はみんなで行こうよ。夏は夏祭り、冬は真田一人寒中水泳」
「また俺か!?」
「うるさい真田」
「ぬ。」
「赤也」
部長の顔でもない、先輩の顔でもない、今まで見た事がないような顔で幸村は赤也の名前を優しく呼んだ。
涙でぐちゃぐちゃな後輩を可愛いなぁと思いながら、ぽんぽんと頭を撫でる。
「切れないからね、俺たちの絆」
「へ?」
「むしろ切らせないって感じかな。お前がうざがろうがハサミ持ち出そうが、絶対に切れないから、俺たちの絆は。それこそ永遠にってくらい」
俺たちの絆は永遠だ何て、言葉にすれば吹き出すほどくさいセリフをこともなげにさらりと言ってしまえる幸村は、やっぱりすごいと赤也は変なところで感心した。と、同時に安心した。自分はまだこの人たちを求めていいのだと。まだそばにいてもいいんだ、甘えてもいいんだと。
「精市がな、赤也」
また溢れ出した涙と鼻水を、柳生から貰ったティッシュで一生懸命拭っていると、柳が静かに口を開いた。
「どうして塀の上にポテチを置いたと思う」
「…い、いやがらせじゃないんすか」
「ふっまぁそれに近いけどな。…俺たちが引退した日、お前えらく沈んでいただろう」
「…はい」
「だからだよ。精市は少しでもお前を元気付けてやろうとしたんだ、頭が悪いから方法は些かおかしいがな」
「え、ちょっと蓮二君。さりげなく俺を馬鹿扱いしないでよ」
「事実だろう」
「もうちょっとオブラートに包んでよ。俺ってば繊細なんだから」
「ぶっ! も、もうアンタら卒業とか全然関係ないんすね!」
何で泣いてるのか、自分でもわからなくなってきた。この人達がいなくなる寂しさからなのか、それともそばにいられる事への安心からなのか、あまりにもいつもどおり過ぎることへの笑いからなのか。
切ない気持ちも安心感も、全部どうでもいいや、なんて思いながらひとしきり笑った。
みんなで紅白饅頭をつついたり、カメラで撮影会をしたり、この後焼肉食いに行くかと言ってみたり。真田は結局最後まで一人泣いていて、赤也がなだめたりもした。案外可愛いトコあるじゃないすか、と言っても怒られなかったので、自分と別れるのがそんなに嫌なのかなと嬉しくもなった。
結局本当に焼肉を食べに行く事になって、家についたのは8時近くになっていた。大して何も入っていなかった鞄が、机の脇に置く拍子にころころと音を立てたのであけてみると、中には7つ、ボタンとそれにはっついたメモが転がっていた。
「…あの人たち、馬鹿じゃないの…」
そういえば帰り際、全員ブレザーが不恰好にはためいていたなと思う。すぐにコートを着込んだからわからなかったけど、確かにボタンはなくなっていた。自分がトイレにたった隙にでも引きちぎったのだろうか。幸村や仁王、ブン太、ジャッカルあたりは納得出来るが柳生や真田、柳がそうしたのかと思うとなんだか笑えた。
女子にあげることなく自分の下に転がり込んできたボタン。どこまで自分を驚かせるのが好きなんだろうと、でもこんな驚かされ方は嫌いじゃないと思いながら、赤也にしては珍しく、棚にきちんと7つ並べてしまいこむのだった。
俺のボタン、超レアだぜ! 丸井ブン太
元気でいろよ。またゲームやろうな ジャッカル桑原
たまには連絡くださいね。ゲームのしすぎは禁物です。 柳生比呂士
いくら俺のボタンといえど売っても金にはならんぞ 仁王雅治
無理はするな、ちゃんと冷静に周りを見るんだぞ 真田弦一郎
たまには精市と弦一郎を引き連れて遊びに行く 柳蓮二
Eternal Bond! 英語真面目に勉強しろよ 幸村精市
[ update 08.02.28 ]
Fin.
ということで卒業ネタ。
まぁぶっちゃけ引退ネタ(レジスタンス)と被るよねって話。
(080227)