かれこれ10分は走っただろうか。
テニスコートを出てロードワークがてら走り進んで来た体育館裏の水呑み場で、見知った影に幸村は足を止めた。
「蓮二」
汗一つかかず壁に背を預ける友人に行動パターンなどお見通しなのだろうと、軽く手を上げて降参ポーズをとる。
「お前がここを通る確率は94%だった。…本来の目的を忘れていただろう」
「そこまでお見通しか。参った」
パァン、と互いに手を交わし、そしてそのまま壁にもたれる。
「10分で捕まるなんて、俺もまだまだだな」
「いや、柳生も丁度仁王を捕まえたようだ」
耳を澄ますと珍しい仁王の叫び声が聞こえて来る。
「皆楽しんでるじゃないか、鬼ごっこ」
「幸村罰ゲームが待ってるからな、最後の鬼には」
鬼ごっこ、と言ったにも関わらずこの二人の間に流れる空気はどこまでも穏やかだ。まるで始めから分かっていたように鬼をすんなり受け入れた幸村は一呼吸置くと、さて、と言って足を踏み出した。
「俺、そろそろ真田を狩りに行って来るよ」
「あぁ」
快く幸村を見送る柳が、終わったな弦一郎、と呟いたのはまた別の話である。
「くっそー、ラケットは反則じゃろぉが」
頭をわしわしかきながら仁王は不満を並べる。
「あんな至近距離でレーザー撃つ奴がおるか」
「いや、お前それ程恨み買ってんだって!」
「俺、あんなにキラキラした柳生先輩初めて見ましたよ…」
出来れば一生見たくなかった。
げっそりと呟いた赤也に、またブン太が笑う。3人揃って歩いている時点で既に鬼ごっこじゃない。
「こうなったら意地でもジャッカル捕まえるぞ」
「おっ仁王先輩やる気っスね」
「当たり前じゃ」
どうやら柳生から受けた鬱憤をジャッカルで晴らす気らしい。哀れジャッカル。
「たぶん柳は今頃幸村くんを捕まえてて、鬼になった幸村くんは真田をカモるはず。 柳生は仁王をボコって気が済んだだろうから、残るはやっぱジャッカルだけだよな。俺ら3人が組めば罰ゲームもスルー出来るって!」
なかなかに鋭い読み。
ちなみにそれほどまでに罰ゲームを受けたくないのかという疑問は潔く割愛させていただこう。なんせ最恐と謳われる幸村が考案する罰ゲームなのだから説明するまでもない。
しかしここで問題が浮上した。
「でもどうやってジャッカル探すんスか?」
「そう。問題はそ…」
そこまで言って仁王が止まる。
不思議に思った赤也が後ろを振り返ると、見慣れた背中がうかがえた。
「…割りとフツーにいましたね、ジャッカル」
「全くだぜぃ…」
アイツ逃げる気ねぇな。
ブン太がガムを噛みながら苦笑する。ちら、と仁王を見やると表情をキリッとしめて、まるで先程柳生に食らったダメージなどなかったかのように漫然を装って歩き始める。
(さすが詐欺師…)
若干呆れるブン太を余所に、仁王は何食わぬ顔でジャッカルに近付いていく。
「おージャッカルじゃなか」
「仁王…(とブン太に赤也…?)」
仁王の後ろに見える二人に嫌な予感がしないでもない。が、もし思い過ごしだったら不快な思いをさせることに…。どこまでもイイ奴ジャッカル。それ自体が罠だと気付くのは、僅かこの30秒後のこと。
「あ、もしやお前さん鬼じゃなかろうな」
「はは、まさか。俺が鬼だったらすぐにお前ら捕まえに走るぜ」
「だろうよ。今俺が鬼じゃし」
「なッ!?」
ポンと楽しげに肩を叩き、口笛を吹きながら足取り軽く立ち去る仁王。
「ご愁傷様…ジャッカル」
言葉とは裏腹に顔は全然可哀想にも思っていない赤也。に続いて、腹を抱えながらブン太が放心状態のジャッカル脇をたたたっと駆けて行く。
「あははっ!ジャッカルだっせー!!」
ブチ。
「ブン太ァぁぁああぁ!!!!!!!!」
「ぎゃあぁあぁぁあ!!ハゲがキレたァ!!!!!!!!!!」
さすがのジャッカルもキレた。
髪の毛がないぶん風の抵抗が少ないジャッカル。4つの肺を持つ男ジャッカル。いらぬ良心を見せた為に仁王にまんまと騙されたジャッカル。日本は思っていたより危険な国だよ母さんと胸に思いながら目の前を猛スピードで逃げる獲物(※ブン太)を黒豹の如く追跡する。
ブン太…お前その速さ、試合中に発揮してくれよと思いながら。
それと同じ頃部室付近では、始まって30分誰とも遭遇していない真田が戻って来ていた。こうまで人に会わないと段々不安になってくる。あのメンバーならすでに帰ってしまったと言う事も十分に有り得る。事実一度置いて帰られたこともある。
(一度荷物を確認しておくか…)
そう思って部室のドアノブを握った瞬間。何処からともなく、けれど誰かは解り切っている咳込む声が聞こえて来た。
「…幸村?」
背後を訝しみながら振り返ると、そこにはやはり幸村が。
「だ、大丈夫か、幸村」
「ゲホッ、うん…ちょっと蓮二から逃げるのに本気になっちゃって…」
「今無理をしてどうするんだ!」
尚咳き込む幸村を気遣い、体を支えてやろうと肩に手を回した。まさにその瞬間。にこ、という効果音が最も相応しいだろう。幸村は肩に回された手をガシッと見た目からは想像できない握力で掴み。
「今、俺が鬼だったんだ。だから次の鬼は真田、お前だぞ」
と今日の青空のように実に爽やかに言いのけた。
いらぬ良心を見せた為にまんまと騙された男がここにも一人。何かやらかすと予期していただけに真田のダメージはでかかった。気付けば幸村の姿はそこには無く、茫然自失といったように真田一人が立ち尽くしている。その目の前を、ぎぃやあぁあぁぁあと奇妙な叫び声を上げながら何かが通り過ぎる。
「………赤、也…?」
あの後ろ姿は間違いなく赤也。真似しようにも真似できない、超強力なくせっ毛が何よりの証拠だ。呆気にとられて赤也の後ろ姿を眺めていたら、いつの間に来たのかジャッカルに声を掛けられた。
「真田?」
「ジャッカル…」
そして二人の脳内ではほぼ同時に同じ考えが浮かぶ。今コイツに鬼の権利を譲渡しちまえばいいじゃねーか俺、と。すでにキャラが壊れている。しかしそうと決まれば話は早い。互いに体制を立て直し、いざ。
「くわぁくぐぉおお!!」 ※覚悟
パァン!!
互いの右手が互いの額にヒットする。
「…………。」
「…………。」
「「お前、鬼だったのか!?」」
互いの鬼を移し替えただけだった。
「くっそー、また赤也追いかけなきゃなんねぇぜ!」
「赤也?」
「アイツら…あぁ仁王とブン太と赤也がな、3人がかりで俺をカモにしやがるんだよ」
言いながらジャッカルは頭をがしがしかく。髪がないから痛いんだろうな、と真田が思っているとも知らずに。
「酷ェんだぜ?柳生から回った鬼が仁王に行ってさ、仁王⇒俺⇒ブン太⇒俺⇒赤也⇒俺って来ててさぁ」
俺より不幸な奴もいた。真田はどこか救われた。
「鬼ごっこ終了まであと何分か分かるか?」
「ん?あぁ、5時の鐘が鳴るまでだか…」
キーンコーン カーンコーン…
「「………………………。」」
無情にも、終了を告げる鐘の音が。
「(えっ…終わり?)」
「(幸村罰ゲーム…!!)」
思う事はそれぞれだが、容赦なく部員は戻って来る。
「なーんだ、やっぱジャッカルと副部長かぁ」
「だから言ったろぃ?」
「プリッ」
かなり好き勝手な事を言いながら。
「よし、じゃあジャッカルと真田に罰ゲームだな」
テニスをしている時より楽しそうに笑う幸村。ろくなものが来ないと分かっているだけにテンションがた落ちな負け鬼2人。
「まずジャッカルな」
「あ、あぁ…」
「ジャッカルは1週間『ハゲ上等』って書いたまま部活」
「なっ…!!」
「安心しろ、字を書くのは俺だ。丁寧に書いてやる」
そんな有り難くもないフォローを柳がいれると、ギャラリーからは大爆笑という旋風が巻き起こった。
「だははっ超ウケる!!ハゲ上等って最高っスね、幸村部長」
「良かったなぁジャッカル!!柳めっちゃ字上手ぇじゃん?」
赤也もブン太ももはや号泣である。言われた当の本人は青いのか赤いのかは元が黒い所為で分からないが、とりあえず必死に何かを抑えようとしている。はむかっても相手が幸村だと到底勝ち目はないからだろうが。
「じゃあ次真田ー」
良心仲間が酷い目にあわされた。自分もタダでは済まない。真田は思わず身構える。
「真田は1週間『たるんどる』禁止」
「明らかにそれ軽いだろッ!!」
「ジャッカル!?」
呆気なく良心仲間は解散した。
「その代わりに『たまらん』発動」
「あ、前言撤回」
が、その後に続いた容赦のない言葉に、潔くジャッカルは抗議を撤回した。今度は真田が固まる番だった。
「『たるんどる』を使いたくなったら『たまらん』って言うんだよ、真田」
そんなもん発動したら威厳なんて存在しない。小首をかしげながら、ね、なんて言ってくれちゃっている幸村を、誰が止めようとするだろうか。あの柳生までもが肩を震わして笑いを堪えているのだ。もはや真田に逃げる道はない。
「お、お前ら全員た…」
「た、何?」
衝撃派にも似た威圧感。幸村の目が鋭く光った。
「たまらァーんッ!!!!!!」
それから1週間、ジャッカルと真田が極力人前に出ようとしなかったというのは言うまでもない。
fin.
08.11.12 加筆修正