暑くて熱い日

 

 まるで腐敗が進むのではないかと言う記録的猛暑の日、赤也はその日一番の気温を記録した午後1時38分に目を覚ました。
 時計を見て驚くことはない。大学生になって半年、バイトだなんだと明け暮れていた夏休みだったが、奇跡的に今週は休みをもらえた。だから昨日も一昨日も、この暑さの中わざわざ外へ行きたいとも思わず昼過ぎに起きて夜にゲームして。その繰り返しだった。
 
 それがあまりにも平凡で、退屈な、けれどもどれほど穏やかで幸せな時間だったのかを思い知るまで、残された時間あとわずか2分。
 
 ピンポーンとインターフォンが元気に鳴る。
 どうせ何かの勧誘だろう。
 実家が何かを郵送するなら前もって連絡が来るはずだし、自分では何も頼んでいない。
 ようやくエアコンから涼しい風が出るようになったのだから、わざわざ熱風を部屋の中に入れることもない。そう思って放置していたインターフォン。が、無言のときを経てやたらめったらに連呼する。
 
 ピンポン、ピンポン、ピンポン
 
「な、なんだってんだよ!」
 
 心当たりがないわけでもない。むしろこんなことをしそうな人物が記憶を辿れば3人ほどヒットする。中学、高校と続けたテニス部での先輩3人。3恐と謳われた、あの3人。
 
 嫌な予感を感じつつ玄関へ向かうと、郵便受けの隙間から白い手が何かを求めて室内にだらんと覗いている。
 
「ひっ!」
 
 どんな悪質な嫌がらせだ。
 赤也はなるべくその手に近寄らないよう、玄関の鍵をガチャリと開けた。
 
 ポストに手を突っ込んでる時点で、相手が誰なのかは限定されていた。柳さんでも仁王先輩でもない。なら温和で天然で最強で最低のあの人しかいないじゃないか。
 

「…幸村さん」
「暑い!あついあつい!」
 
 やあ赤也、久しぶりだな。
 悪戯な笑みを浮かべて、暑さを感じさせず笑顔で挨拶してくれると、扉を恐る恐る開ける直前までは思っていた。
 
 その期待はものの見事に打ち砕かれたわけだが。

 幸村は我が物顔で部屋の中に入ると、お世辞にも綺麗とはいえない部屋の、それでも一番綺麗なところに荷物を置き、自分はぼふっとエアコンの下に位置するベッドにダイブした。

「ちょちょちょアンタ突然来て何自分の部屋のようにくつろいでんスか」
「お前のものは俺のものだって…あの日、夕日の下で誓ったじゃないか」
「その夕日に誓って、断じてそんな約束はしてません」
「ちっ」
「舌打ちしないで下さい」

 赤也が大学に(奇跡的に)進学して半年。だがその半年の前に、幸村が高校を卒業してからの一年間がある。
 その間たまに会っていたとはいえ、二人きりで会うのは一体いつぶりだろう。もしかしたら幸村が卒業してすぐの一回だけかもしれない。
 そんなことを思いながら、玄関の鍵を掛け、朝食にしても昼食にしても遅い食事のために火にかけた鍋の様子を見に台所へ足を向けた。

「あーすずしー」
「そりゃエアコン直下ですからね」
「ここ広いな、一人暮らし用?」
「そうですよ。家賃の割りにだいぶ広いんですよ。大学からはちょっと遠いけど」
「あ、俺にもご飯」
「はっ?食ってないんですか」
「だって暑いだろ。やる気が起きないんだよ」

 ということは、この人は昼飯を食べるためだけにわざわざ来たということだろうか。そもそも突然の来訪の意味が分からない。
 赤也は二人分のパスタを茹でながら、ベッドから起き上がろうともしない幸村を振り返る。

「幸村さん、なんでいきなり来…」
「あかやあかや、これ何?何語の本?」
「…ドイツ語っす。必ず一つ外国語選ばなきゃないんで」
「うわーめんどー。俺理系にして良かった」

 俺からすれば理系は未知の領域だ。
 という突っ込みは今更過ぎるだろうなと赤也は口をつぐむ。大体素で俺がルールだ人生を歩む人なのだから此方が話をあわせようがあわせまいが、基本的には関係ない。

 中、高と続けたテニス部で、それは痛い程に学んだ。文字通り、本当に痛い程。
 やれ暑い、やれ寒い、やれ誰が気に食わない。そんな苛立ちの矛先は、いつだって赤也か真田。六割五分の確立で真田に軍配が上がっていたものの、自分もなかなかに大健闘だったと鍋に箸を突っ込んだままひとりごちる。

 と、そこで。
 あまり気づかないほうがよかったのかもしれない事実に思い当たる。

 何で突然来たのか。そればかりに気をとられていたが、そもそも幸村にこの家の場所を教えた記憶はない。柳と仁王、そして丸井はこの家の場所を知っているがこの人がわざわざ誰かに尋ねる事をするとも思えない。

 なら、なんで。

「幸村さん」
「んー?」
「この家の場所、なんで知ってたんですか?」

 野生の勘、なんて答えが返ってきても今更可笑しいとは思わない。
 焼き魚が好物と初めて聞いたときは、生肉丸々食べそうなイメージだったので、思わず「鯨一匹丸ごとですか」と聞き返してしまったほどだ。それほどワイルドなこの華奢な男が、まさか、そんな発言をするとは思いもよらなかった。

「んー…会いたくなったから蓮二に場所聞いた」

 タイマーはピピピと鳴り続けている。けれど箸は止まったまま。

 今、この人は、なんて、言った?

 一つ一つの言葉を頭の中で反芻して、そしてじわじわと吹き零れる鍋のように沸いてくる実感。
 会いたい、と。自分に会いたいがために人に場所を聞いた、と。確かにそういった。

「あかや、麺のびるよ」
「え、あ、はい」
「ふふ、動揺してる。かーわいー」

 実際吹き零れた鍋から麺を取り出して水切りし、ミートソースを豪快にかける。明らかに二人分より多いその量は、普段ならぺろりと平らげてしまえる量だ。けれど今はやたらと胸が一杯で、全部食べきれるかな、とそう思う。

「出来ましたよ」
「わぁすごい!俺パスタなんて蓮二の家で食べたっきり!」
「…たぶんパスタって一番簡単ですよ」
「俺が作ると麺がところどころ膨らむんだ」
「なに作ってんですか」
「パスタだよ。いっただきまーす」

 部屋はごっちゃごちゃに汚くて。クーラーをかけなきゃ暑くて腐りそうな今日だけど。
 隣で口の周りをミートソースでちょっと汚しながら幸せそうに自分の簡単手料理を食べる幸村がいるだけで、最近で一番の幸せな日なんじゃないかと温もりに浸ったある日の出来事。

 

[ update 07.11.20 ]

 

fin

 

 口の周りを血に染めて、生肉を頬張る姿に見えなくもない。
 タイトルに特に意味はない。
 (07.08.06)